東京地方裁判所 平成2年(ワ)8605号 判決 1991年7月31日
原告 宮崎信子
右訴訟代理人弁護士 中村人知
被告 増田イマ
被告 近藤寛志
右両名訴訟代理人弁護士 堀川日出輝
同 堀川末子
同 中島信一郎
主文
1 被告らは、原告に対し、別紙物件目録記載の建物を明け渡せ。
2 被告らは、原告に対し、連帯して、平成三年六月二〇日から右建物明渡済みに至るまで一月当たり金三五万円の割合による金員を支払え。
3 原告のその余の請求を棄却する。
4 訴訟費用は、被告らの負担とする。
事実及び理由
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 主文1項同旨
2 被告らは、原告に対し、連帯して、平成元年八月二八日から別紙物件目録記載の建物の明渡済みに至るまで一日金二万円の割合による金員を支払え。
3 主文4項同旨
4 2項について仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は、原告の負担とする。
第二事案の概要
本件は、別紙物件目録記載の記載の建物(以下「本件建物」という。)についての賃貸借契約が一時使用の目的であったか否か、仮にそうでない場合に利用方法違反を理由とする解除が有効であるか否か、原告の明渡請求が権利の濫用等に当たるかが争点となった事案である。
一 当事者間に争いのない事実
1 原告は、本件建物を所有し、その三階に居住しながら、その一階及び二階で「比奈貴」の商号で料亭を営んでいた。
2 原告は、被告増田に対し、昭和六〇年八月から、本件建物の一階及び二階部分を、期間二年間、賃料月額三七万円、比奈貴の商号使用を認めて貸し渡した。
右賃料月額は、昭和六三年八月から三五万円に改定された。
3 被告近藤は、被告増田の原告に対する債務につき、連帯保証をした。
二 争点
1 原告の主張
(一) 本件建物の使用は一時使用の目的であったので、原告は、期間が満了する直前の昭和六二年八月頃、被告増田に対し明渡しを求めたところ、被告増田は、合意による本件賃貸借契約の解約を認めたうえ、一年間の明渡猶予を求め、明渡しを遅滞したときは一日二万円の割合による損害金を支払う旨約した。その後、昭和六三年八月頃、原告は、再度被告増田から懇請されて一年間だけ明渡しを猶予したものであり、錯誤はあり得ない。
よって、原告は、被告らに対し、明渡しの猶予期間が経過したので、本件建物の明渡しを求めるとともに、契約期間満了の平成元年八月二八日から右建物明渡済みに至るまで約定の一日二万円の割合による損害金の支払を求める。
(二) 当初の契約が終了した昭和六二年八月には、通常授受が予定される更新料の支払もないし、また、契約に基づく償却により減額される保証金の預託もなされていない。
さらに、昭和六三年九月の明渡し猶予の際には、賃料を減額しただけでなく、賃料のうち、五万円を保証金から差し引くことの合意もされており、このように被告増田に有利な条件を原告が了承したのは、被告が一年後には円満に明け渡してくれるものと考えたからである。
(三) 被告増田が明渡しを拒んでいるのは立退料の請求にあるようであり、原告の明渡請求が権利の濫用や、信義則に反するものではない。被告増田は、本件建物を所謂居抜きの状態で賃借し、そのまま利用して収益を上げることができる状態にあり、内装工事、什器備品の調達等について自己で出捐する必要はなかったのに、原告の無駄になるから止めるようにとの助言に応じず、畳替えや、クーラーの設置をしたものである。
(四) 原告は、予備的に、本件訴訟手続における第八回口頭弁論期日(平成三年六月一九日)に、被告増田に利用方法に違反があるので、本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をした。
即ち、本件賃貸借契約は、料亭として使用することが前提であったところ、被告増田は、お客に風呂を使わせたり、仮眠をさせたりしており、料亭という宴会等の飲食をさせる場所として使用するという使用目的に反しているし、風俗営業等の規則及び業務の適正化等に関する法律や、同施行条例にも違反している。
2 被告らの主張
(一) 本件賃貸借契約は、一時使用の目的ではなかった。被告増田は、本件建物使用開始当時、畳が傷んで使用に耐えない状況であったので自己の費用で全部入れ替えているし、原告設置のクーラーが故障したため、原告の承諾の下に平成元年九月に八六万五〇〇〇円の費用をかけて新しくクーラーを設置している。
原告から本件建物の明渡しの請求があったのは、平成二年三月頃になってからであり、それまで一度も明渡しの請求はなかった。
(二) 原告の主張する合意解約は、契約期間を一年間にして欲しいとの申出に応じて署名に応じたもので、合意解除の意思はなく、法律行為の要素に錯誤があったから、無効である。
(三) 原告の本件明渡請求は、権利の濫用及び信義則に反するもので認められない。
即ち、被告増田が原告に支払った賃料は合計二〇〇〇万円を超えているし、料亭を経営するための畳の修理や、壁紙の張替等の費用は被告増田が全て負担しており、昭和六三年九月頃にはクーラーのために八六万円余の支出をしている。被告増田は、長期間使用できると予想したからこのような支出をしたものである。その時点では、明渡しの話はせずに、今ごろになって明渡しを請求するのは権利の濫用又は信義則に反する。
更に、原告は、夜泊まるなとか、一二時以降電気を消すとか、留守のときにも鍵をかけさせないとか被告増田の営業を妨害している。
本件は、被告増田が法律に無知であることに乗じ、明渡料を支払わずに明渡しを求める目的で合意解約契約書に署名させ、それに基づく明渡しを求めるものである。
第三争点についての判断
一 本件賃貸借が一時使用の目的であったか否か
1 原告は、本人尋問の際、その旨の供述をしているし、甲第七号証中にも、同旨の記述がある。
しかし、《証拠省略》によれば、本件建物の賃貸借契約の締結の際に作成された契約書には、二年の賃貸借期間満了後も協議により更新できる旨、被告増田は入居に際し保証金を預託しなければならず、その保証金は、毎年五パーセント償却し、被告増田は、その償却分に相当するものを毎年預託しなければならない旨、契約更新の際にも、被告増田は償却された保証金相当分を預託充当しなければならない旨定められているところ、被告増田は、現実に定められている保証金を原告に預託したことが認められ、この事実と、昭和六二年八月以後も被告増田に本件建物の使用継続を認めたことに照らすと、昭和六〇年八月の本件建物賃貸借契約が一時使用目的であったと認めることはできず、これに反する原告の供述部分及び甲第七号証中の記述部分は信用することができない。当時、本件賃貸借契約が一時使用目的であることが明確であれば、契約書に定める約定中に、更新に関する規定は設けられないか、削除されるはずであり、また、多額の保証金の預託がされることもないことが通例であるので、右認定事実は、一時使用目的でないことを窺わせるところ、これを覆すようなより強い一時使用目的であったことを認定することができるような事情の存在を認めることができないからである。
《証拠省略》によれば、被告増田は、本件建物入居後間もなく、原告の了承を得て、自己の負担において賃借部分の畳を新しくしたことが認められ、これによると、少なくとも、被告増田は、本件賃貸借が短期間に終了することは予定していなかったものと推認される。
以上によれば、本件建物の賃貸借契約締結当時、本件賃貸借契約が一時使用目的であることについて当事者双方に合意があったと認めることはできない。
2 次に、本件賃貸借期間が満了した昭和六二年八月以降に、一時使用目的に変更されたかどうかを検討する。
《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。
(一) 原告と被告増田間では、昭和六二年八月二〇日頃、次の内容の本件賃貸借契約の合意解除に関する書面が作成された。
(1) 原告と被告増田は、本件建物についての賃貸借契約を合意解除し、原告は、被告増田に対し、本件建物の明渡しを昭和六三年八月二七日まで猶予し、同被告は、原告に対し、右期日限り、本件建物を明け渡す。
(2) 被告増田は、原告に対し、本件建物の賃料相当損害金として、昭和六二年八月二八日から本件建物の明渡しに至るまで月額三七万円を支払う。
(3) 被告増田は、所定の期限における明渡しを怠ったときは、原告に対し、遅滞した日の翌日から本件建物明渡済みに至るまで一日当たり二万円の割合による損害金を支払う。
(4) 原告は、被告増田に対し、本件建物明渡後二か月以内に、同被告が差し入れた保証金残金(三〇〇万円から一年五パーセントの割合による償却をした残金)を返済する。
(二) 原告と被告増田間では、昭和六三年九月二八日頃、右合意解除に関し、更に、次のような確認書を作成した。
(1) 原告は、被告増田に対し、本件建物の明渡しを昭和六四年八月二七日まで猶予し、同被告は、原告に対し、右期日限り、本件建物を明け渡す。
(2) 被告増田は、原告に対し、本件建物の賃料相当損害金として、昭和六三年八月二八日から本件建物の明渡しに至るまで月額三五万円の割合による金員を支払う。
(3) 原告は、被告増田に対し、同被告が本件建物を明け渡した後二か月以内に保証金残金を返還する。
(4) 被告増田において右期日の明渡しを怠ったときは、同被告は、原告に対し、遅滞した日の翌日から明渡済みに至るまで一日につき二万円の割合による賃料相当損害金を支払う。
(三) 右合意直後、月額三五万円の支払も困難であるとの被告増田の申出により、原告は、月々の支払を三〇万円に減額し、残五万円は、保証金から控除することを認めることとなった。
以上の事実が認められる。
右認定事実によれば、昭和六二年八月二八日以降は本件賃貸借契約は解除され、被告増田には、明渡猶予期間の使用継続が認められるにすぎず、猶予期間経過後は直ちに明渡義務が発生するとの合意が当事者間に存在したと推認されないではない。
しかし、《証拠省略》によれば、右合意解除書及び確認書とも、原告が弁護士に委任して作成して貰い、それに原告及び被告増田が署名押印したものであるが、原告が弁護士に委任するに際し、期間を各一年とし、期間経過後には必ず明け渡す旨の契約書案の作成を依頼したものであったこと、右のような書面の内容にもかかわらず、原告、被告増田とも、右猶予期間中、賃貸借関係が存在していないとの認識はしていなかったことが認められる。これによると、原告の意図しているのは、使用期間が一年間であり、期間経過後は必ず明け渡すことにあったのであり、契約関係が終了した上での使用継続ということについて、当事者間に合意があったものと認めることはできず、したがって、前記合意解除書及び確認書の内容を文言どおりの合意があったものと認めることは相当でなく、この合意は、賃貸借期間を一年間とし、期間満了の際には事由の如何を問わず、本件建物を明け渡すことについて原告、被告増田間に合意が成立したものと認めるのが相当である。
ところで、右のように、賃借人が事由の如何を問わず明渡しを約束しただけで、賃貸借契約が当然に一時使用の目的となるものではない。一時使用の目的であることが当事者間に明確に合意されていなければ、借家法の適用除外にならないからである。
してみると、昭和六二年八月末又は昭和六三年八月末当時、借家法の適用を排除するだけの特段の事情があればともかく、そうでなければ右の合意の存在だけで一時使用の目的であったとすることはできないところ、本件では、そのような特段の事情の存在を認めることはできない。かえって、《証拠省略》によれば、被告増田は、昭和六三年一〇月頃には、原告の了承を得て、一〇万円弱の費用をかけて賃借部分の部屋の壁の張り替えをし、また、平成元年九月頃には、同様に原告の了承を得て、八六万円余の費用をかけてクーラーを設置したりしていたが、平成二年三月頃になって原告から強く本件建物の明渡しを求められるに至ったことが認められる。この事実によると、昭和六三年八月末当時、一年後には使用継続を拒否するような特段の事情は存在しなかったものと認められる。確かに、《証拠省略》によれば、調理師をやっている原告の実弟が平成元年八月に元の勤め先を退職していることが認められ、これに関し、原告は、本人尋問の際、実弟をして本件建物で割烹を開設させたい旨供述している。原告の右意図が事実であるとしても、昭和六三年八月末当時その意思が確定的であったとは、事実の経過に照らし考えられない。
3 したがって、本件賃貸借契約が一時使用の目的であったことを前提とする原告の請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。
二 使用目的違反解除について
1 本件建物の使用目的が料亭であること前記のとおりである。
そして、原告が使用目的違反を理由として契約解除の意思表示をしたことは当裁判所に顕著である。
2 《証拠省略》によれば、被告増田の営業形態に関し、次の事実が認められる。
(一) 被告増田は、昭和五八年八月頃まで本件建物の近隣で料亭「大黒」を営んでいたので、本件建物で「比奈貴」の名称を使って料亭を経営するに当たって、一時大黒の名称も使うことについて原告の了解を得て行った。
(二) 本件建物において料亭として営業し始めた当初の頃一年間は、仲居一人を使用し、お客が多いときは、芸者等を頼んでいたが、一年後からは、被告増田一人でお客の応対をし、客が多いときは、芸者等を頼んで応対して貰ったりしていた。
(三) 被告増田の営業する店舗には調理師はおらず、料理等は同被告が手作りをしていた。
(四) 右のような状態であるため、お客には飲食をさせるほか、風呂に入らせたり、マッサージ師に来て貰ってマッサージをさせたり、仮眠をさせたりすることもあった。さらには、お客が寝泊まりすることを認めるだけでなく、女性同伴客が寝泊まりすることを認めたりしていた。
そのため、本件建物の二階には布団が敷きっ放しになっていたりした。
そのような利用の仕方をしていることについて、原告は、再三にわたり注意をしていた。
(五) 平成二年八月頃、比奈貴の営業許可の更新に際し、保健所の立入検査が行われ、厨房(調理場)の不整頓、不清潔が指摘されたほか、二階の部屋の布団の敷き放しが現認されて、警察署に通報され、その点について、営業許可名義人である原告は、警察から注意を受けるに至った。
原告も、その頃から、被告増田の使用方法に苦情を強く述べるようになった。
(六) 平成二年一一月頃から、客室でのマッサージ、客を泊めることも止め、以後被告増田の売上は著しく減少した。
(七) 原告は、本件建物の三階に居住するほか、本件建物の一階においてスナックを営んでいるため、本件建物全体で生じた電気、ガス、水道代は、原告と被告増田間で折半していたが、月一〇万円を超える支出をしなければならないこともあった。
(八) なお、被告増田は、現在も、本件建物に寝泊まりしている。
以上の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》
3 ところで、料亭は、風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律にいう「風俗営業」に該当し、客の接待をして、客に飲食させる営業であり(同法二条二号)、同法の委任を受けた東京都施行条例では、営業所において客を宿泊させ、若しくは仮眠させ、又は寝具その他これに類するものを客に使用させることを禁止している(同条例七条一項四号)。
右認定の被告増田の本件建物の利用方法は、料亭としては異例であり、東京都条例にも違反している。
4 しかも、被告増田は、原告の再三の注意にもかかわらずその使用方法を改めず、保健所の立入検査の際発見されて表ざたとなってしまったというのであるから、原告が被告増田の使用方法を察知していたとしても、対外的に責任を負わされるのは営業名義人である原告である以上、被告増田の不適正な利用方法を無視することはできない。
5 したがって、料亭としての利用方法としては不適正であり、その結果対外的に問題が発生するとした場合には原告が責任を負わされる事態となる可能性があることに鑑みると、使用方法違反を理由とする本件賃貸借契約の解除は理由がある。
三 権利濫用等の主張について
1 被告増田が本件建物の賃借部分の内装等に関して多額の出捐をしていること、原告も被告増田の本件建物の使用方法をある程度察知しておりながら、注意はしていたものの、強い注意はしていなかったことは前記のとおりであり、更に《証拠省略》によれば、被告増田は、本件建物における営業で生計を維持しており、他に資産はなく、本件建物を立退料を得ることなく退去するときは以後の生計維持が容易ではないことが認められる。
2 右事情を考慮しても、被告増田の本件建物の利用方法に鑑みると、本件契約解除が権利の濫用に当たると解することはできないし、信義則に違反するものということもできない。
してみると、原告の本件契約解除の効力を否定することはできない。
四 結論
1 したがって、原告の請求のうち、本件建物の賃貸借契約解除に基づく明渡しを求める部分は理由がある。
2 原告は、平成元年八月二八日から一日当たり二万円の割合による使用損害金の支払を求めているが、本件契約の解除の意思表示がされたのは平成三年六月一九日であり、同日までの賃貸借契約は有効であるから、同日までの使用損害金の支払を求める部分は理由がなく(弁論の全趣旨によれば、被告増田は、右期日までの賃料の支払を継続していることが認められる。)、また、解除後に原告が被る賃料相当の使用損害の額が月額三五万円を超えることを認めるに足りる証拠もないから(一日当たり二万円の使用損害金を支払う旨の契約が存在したことは前記のとおりであるが、その契約の内容が前記認定のとおりであるので、一日二万円の割合による算定は合理性がない。)、平成三年六月二〇日から本件建物明渡済みに至るまで一ケ月三五万円の割合による使用損害金の支払を求める部分は理由があるが、それを超える請求の部分は認めることができないので棄却することとする。
3 よって、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。
なお、原告は、金員支払部分について仮執行の宣言を求めているが、本件においては、それを付することは相当でない。
(裁判官 田中康久)
<以下省略>